幹細胞を使ってヒトの器官の小さな三次元モデルを生成する技術は、
この10年ほどで大幅に進歩した。
とりわけ、ヒトの多能性幹細胞から作製する豆粒大の人工脳
「脳オルガノイド」は、現代の神経科学で最も注目されている分野のひとつだ。
■ 医学を一変させる可能性、しかし倫理上の懸念も
米ハーバード大学の研究チームが2017年に発表した研究論文では、
「脳オルガノイドが大脳皮質ニューロンや網膜細胞などの
様々な組織を発達させる」ことが示され、
2018年4月にはソーク研究所の研究チームがヒトの脳オルガノイドを
マウスの脳に移植したところ、機能的なシナプス結合が認められた。
また、カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究チームは2019年8月、
「脳オルカノイドからヒトの未熟児と類似した脳波を検出した」との
研究結果を発表している。
脳オルガノイドのような「生きた脳」の研究によって
医学が一変するかもしれないと期待が寄せられる一方、
脳オルガノイドが十分な機能を備えるようになるにつれて、
倫理上の懸念も指摘されはじめている。
■ 意識を持つ可能性があるなら、すでに一線を超えている
2019年10月18日から23日まで米シカゴで開催された
北米神経科学学会(SfN)の年次総会において、
サンディエゴの非営利学術研究所
「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」は、
「現在の脳オルカノイドの研究は、倫理上、
ルビコン川を渡るような危険な局面に近づいている。
もうすでに渡ってしまっているかもしれない」と警鐘を鳴らし、
「脳オルカノイドなど、幹細胞による器官培養の倫理基準を定めるうえで、
まずは『意識』を定義するためのフレームワークを
早急に策定する必要がある」と説いた。
「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」で
ディレクターを務めるエラン・オヘイヨン氏は、
英紙ガーディアンの取材において
「脳オルカノイドが意識を持っている可能性があるならば、
すでに一線を超えているおそれがある」と指摘し、
「何かが苦しむかもしれない場所で研究を行うべきではない」と主張している。
■ 動物に移植する実験は、特に倫理的なガイドラインが必要
オヘイヨン氏は、
「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」の
アン・ラム氏とともに、
動物実験や人権侵害、プライバシー侵害などにつながる
手法を排除する倫理原則
「ロードマップ・トゥ・ニュー・ニューロサイエンス」を策定。
「意識」が発生するおそれを特定するのに役立つ
コンピュータモデルも開発している。
脳オルカノイドの進化に伴って倫理上の懸念を示しているのは
「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」に限られない。
ペンシルバニア大学の神経科学者チームは、2019年10月に発表した論文で、
とりわけ脳オルカノイドを動物に移植する実験について、
倫理的なガイドラインの必要性を訴えている。
松岡由希子