「一夜の城」は一夜では建たなかった--。
長野県伊那市教育委員会は7日、戦国時代の1582年(天正10年)に
織田信長の長男信忠による武田軍の高遠城攻めで一夜にして築かれ、
陣を構えたと伝承がある「一夜の城」の発掘調査で、
城の入り口にあたる虎口(こぐち)側で巨大な堀が見つかったと発表した。
四方を堀で囲まれていたとし、一夜で築かれた城ではなかった可能性が強いという。
一夜の城は「織田軍の兵士がこの辺りの農民の道具を借りて一晩のうちに築いた城」
と伝えられている。
調査した市教委文化振興課の濱慎一学芸員(40)は
「(信長一代記の)『信長公記』や伝承から、
この地に織田軍が陣を構えたのは否定できない」と語る。
しかし、市教委の2012年の調査で城の50メートル四方の土塁の外側、
3面で堀の跡を確認。
元はV字に掘られていた堀を幅広に改修した痕跡も見つかった。
さらに、織田軍が陣を張った150年前の陶磁器も出土。
「土塁も高く防御力の高い、地元有力者の城館を接収して使ったのでは」との説が浮上していた。
今回は土塁の東面を調べ、堀を拡幅した跡のある堀も2カ所で見つかった。
いずれも幅約8.5メートル、深さ2.7メートルで、高遠城とは直線で約3キロと近距離にあり、
濱学芸員は「高遠城攻めのための城であれば(守備力を上げる)堀を広げることはしない」と指摘する。
市教委は今後、織田軍がここに陣を置いた証拠を探す。
濱学芸員は「土鍋など三河地方特有の遺物などが出土すれば」と話した。
地元近くの小田原でも「一夜城」があります。
そこは、元々あったお城を改修したものではないですが
それでも、一夜にして築いた というのは少し無理がありそうな・・・。
あっという間の短期間で建てたという事の例えではないかと
そんな風に思います。
それにしても・・・
450年も前のことがわかるものなんですね~
まあ・・・宇宙のことなんて何億年も前のことを調べてるんですから
何百年前くらいわけないんでしょうねぇ・・・。
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